常野さんとの出会い/米田 量

常野さんを最初に知ったのは、不登校50年のインタビュー記事からだった。その時は、特に常野さんに強い印象があったわけではなかったが、不登校が自分の原点であり、そこを参照項にしないと何事も考えられないという強い言葉は記憶に残っていた。 ことそこに…

A Friend Indeed/ドウツマサヨ

私が常野(さん)を最初に認識したのは、おそらく2009年前後にネットで誰かに絡んでいるところだった。面倒くさそうだと敬遠していたある日、彼が英語ブログを持っているのに気づいた。見てみて、なによりもその英語に感銘を受けた。ほぼ直しが要らないよう…

「生きづらさ」と「左翼の言葉」の光と影 ~信頼をどう作るのという問いは、そしていまも続く~ / 栗田隆子

常野さんの訃報を聞いた時、まず思ったこと。言葉にならなかった思いは“残念”ということ。それにまずは尽きる。 だがそれにしても何が残念だったのだろう?常野さんにしょっちゅう会っていた訳でもなく、とても親友などとはいえない。それにブログやツイキャ…

「学校廃棄論」を真に受けて考えてみる/野崎泰伸

■生を凝視するということ 常野さんには、たくさんの刺激をいただきました。 実際にお会いしたのは3~4回だったと思いますが、それ以上に、ご著書やブログでの発信に心を動かされました。 貴戸理恵さんとの共著である『不登校、選んだわけじゃないんだぜ!…

私にとっての常野雄次郎さん/貴戸理恵

■出会い 私が常野雄次郎さんと出会ったのは、2002~2003年、『不登校は終わらない』のインタビューがきっかけでした。不登校新聞に連載された「社会の中の登校拒否」を読んで、「不登校への差別は学校に行っている人の特権と無関係ではない。学校に行く・行…

ずるく、情けなく、ごまかしもあるけれど……/山下耕平

私は、常野雄次郎さんと個人的なつきあいがあったわけではない。不登校新聞で1999年に常野さんに連載をしていただいていたときに、私は編集長をしていて、それが最初だった。その後、考えなければならないことがいろいろとあったのだが、不登校新聞の立場と…

黒雲の上には青空が/小沢牧子

常野雄次郎 様 とつぜんの手紙、失礼いたします。以前にお目にかかった小沢牧子です。ごぶさたしておりました。いま、ご入院のよし、山下耕平さんからうかがい、ご体調を案じながら、ご入院先におたよりさせていただく次第です。このたび、山下さんから常野…

常野雄次郎さんを悼む/佐々木賢

常野雄次郎さんを悼む 私はあなたにお会いしたことがありません。山下耕平さんから送られてきた「不登校50年証言プロジェクト」を読んで、この人に会って話をしたいと思い、病院に行きましたが、看護師さんに「その方は昨晩、亡くなられました」と告げられま…