「学校廃棄論」を真に受けて考えてみる/野崎泰伸

■生を凝視するということ
 常野さんには、たくさんの刺激をいただきました。
 実際にお会いしたのは3~4回だったと思いますが、それ以上に、ご著書やブログでの発信に心を動かされました。

 貴戸理恵さんとの共著である『不登校、選んだわけじゃないんだぜ!』の常野さんのパートには、以下のようにあります。

「リアリティーのないハッピーエンドはもうたくさんだ。逆に僕は、こう言いたい。登校拒否は病気だ、登校拒否は暴力を生む。登校拒否はひきこもりにつながる。登校拒否は不自由だ。登校拒否は暗く、汚く、臭い。そして、そのようなものとしての登校拒否を肯定するのだ/肯定できるだろうか、と」

 私は、この文章を読んだとき、日本脳性マヒ者協会「青い芝の会」の横田弘氏が1970年代に書いた「行動綱領」の一部を思い返しました。それは、次のようなものです。

「一、我らは、自らが脳性マヒ者であることを自覚する。
 我らは、現代社会にあって「本来あってはならない存在」とされつつある自らの位置を認識し、そこに一切の運動の原点を置かなければならないと信じ、且つ、行動する」

 否定的に眼差される自分たちの生をありのまま描くことの大切さ。「明るい物語」などという「ごまかし」を暴くこと。そのように、徹底的に自分の生を凝視してみること。そこからしか、社会と対峙する自分の生を真に肯定することなどできない、そこからしか、矛盾だらけの社会を変革することなどできない。私は、常野さんの言葉を横田氏の言葉と並列させることで、自らの生の強靭な肯定と、それを阻止する社会への徹底的な抗いとを見て取るのです。
 私自身は、身体障害者であり、不登校経験もひきこもり経験も特段ありませんが、常野さんの言葉には強く共感した部分が大いにありました。それは、「構造的にマイノリティに捨て置かれた立場の生を、いかにしてごまかすことなく肯定しうるか」というテーマに正面からぶち当たってこられたからではないか、と私は感じるのです。

■学校を廃棄する/しない、教育を廃棄する/しない、について
 常野さんの「学校廃棄論」は、あまりにも強烈でした。私の思考は何度も揺さぶられました。ただ、あまりに強烈過ぎて、よくわからない部分もあったことは事実です。
 常野さんの最後のインタビューとなった『不登校50年証言プロジェクト』で、常野さんは次のように語ります。

「私は学校を廃止すべきだと思っていますが、「学校をなくす」というと、よく「給食でしかご飯を食べられない子はどうするんだ」「文字の読めない子はどうするんだ」と反論されます。しかし、学校をなくすというのは、いまの社会をそのままに、そこから学校だけを引き算するということではなくて、社会全体のあり方、社会の仕組みを変えることです」。

「私は学校に行かない人の人権が十全に保障されるためには、学校をなくさないといけないと思ってるんです。あなたは学校に行ってください、私は行きません、私は私でしあわせです、というわけにはいかない。なぜなら、図書館だろうが、公園だろうが、映画館だろうが、どこにいようと、すべての社会領域を学校が埋め尽くしているからです。そこに外部はない」。

「学校を廃止するには、この社会全体を変えることが必要なんです。それは日本の植民地主義を精算することであり、健常者中心主義や家父長制を変えていくことであり、資本主義を変革することでもある。そして、それらは同時に行なわれなければならない。ただ学校をなくすだけでは問題は解決しないし、ほんとうの意味で学校はなくならない。そうでなければ、学校よりもおそろしい、いやな教育ができあがってしまうと思います」。

 何をバカげたことを言っているのだ、と思う人もいるかもしれませんが、私は、バカげたことだと思っているわけではありません。常野さんのこの主張は、一度は真に受けて考えられるべきことであると思います。その上でなお、常野さんに問うてみたかった。いまとなってはもうかなわない、「それはあなたたちが考える責任があるのだ」と言われもしそうですが。
 このプロジェクトの証言を読む限りにおいて、常野さんご自身は、学ぶということが相当好きそうだと私は思いました。私自身、常野さんと同じく、学ぶことが好き(なエリート身体障害者)ですし、学ぶことが特権であるとも思います。いったん身につけた「知」を「学び捨てる」(スピヴァク)ことも必要でしょう。しかしまた、「特権」であることを自覚することや、「学び捨て」なければならないことには、私たちはどうやって気づくことができるのでしょうか。別言すれば、「学校」を廃棄したのちに、「教育」もまた廃棄されなければならないのでしょうか。
 私も参加させていただいた、4月24日の大阪での「偲ぶ会」で、常野さんは生前、学校に行かない/行けない人たちに対して、「路上で学ぼう!」とおっしゃっていたと聞きます。私も大賛成ですし、常野さんらしいなと思いました*1。しかし、ある疑念が私の中に浮かんできました。

「常野さんは学校の廃止、いやともすれば教育の廃止を主張されてきたが、これは矛盾しないのか?」

 私は、「学ぶこと」と「学校制度/教育制度」とは分けて考えるべきだと思います。「学校制度/教育制度」が、植民地主義、健常者中心主義、家父長制、資本主義、異性愛主義等々を疑うことなく前提としながら、「学ぶこと」を取り込み、学校や教育の専売特許にしてしまったことに、問題の核心があると考えます。よって、私は、「学校廃棄」「教育廃棄」ではなく、「学ぶこと」を、差別に毒された「学校制度/教育制度」から救い出すことに、その問題へとアプローチする糸口があるのではないかと考えています。
 私は、「学ぶこと」の核心にあるのは、「根源的な受動性からの主体的な批判性の創造」にあるのではないかと考えています。どういうことか、説明しましょう。常野さんのように差別に対して敏感な方は、それが差別だと理解されたうえで、自分から主体的に学びを求められ、そこから行動に移されたのではないかと推察します。だからこそ、管理されるだけの「学校制度/教育制度」など不要だと思えたのではないでしょうか。ところが、私などそれほど差別に対する感度というものは高くはなかったものですから、ずっと自分の障害というものを「個人に原因があるから生きづらいのだ」と捉えていたのです。大学に入って、「青い芝の会」を中心とする障害者たちが、キャンパスに入ってきて、自分の介護者を見つけようと、学生たちに介護者募集のビラを撒いてたんですね。それはたまたま大学の構内であっただけなんですけど、「自分の知らない世界を突きつけられる」という経験こそが、「学ぶこと」の原初的な形だと私は思うのです。それまで知らなかった世界なのですから、それまでにそのことについて「主体的に学ぶ」などということは、原理的にはありえないわけです。だから、「学ぶこと」の最初にあるのは、「未知の世界が私にどうしようもなく到来してしまうような経験」ではないかと思うわけです。
 突きつけられて、揺れ動かされ、心がうろたえたりもするわけですが、そのとき、揺れ動く心を支え、そこから自分の力でその経験について思考し、捉え返すために支える「知」こそが、私が「学ぶこと」と言うときに中核をなすものです。いまでこそ、そのような「知」はアーカイブが容易になされますが、それでも、そうした「知」をストックし、それにアクセスできるような場やインフラは必要です。また、アクセスした人たちが相互に議論できる空間も必要でしょう。それが学校や教育である必要はまったくありませんが、私は、私が言う「学ぶこと」を否定する理由はないのではないかと思っています。

■障害児が普通学校で学ぶことや、夜間学校について
 もうひとつ常野さんにお伺いしたかったのは、「どんなに重い障害があっても、地域の学校で同世代の健常児と共に学びたい」ということを、どのように捉えられていたのかな、ということです。
 私は、障害があっても、無理してまで普通学校の普通学級という、差別を前提とした教育システムに組み込まれることはないだろうと思っています。ましてや、障害者運動の正当化のために、障害のある児童生徒が無理やり登校させられるのには反対です。そういうときには、「学校制度/教育制度」から撤退して、不登校していいんだよと言ってあげたいです。
 また、よく障害者で「健常児にもまれるから普通学級がよい」という意見を言う人がいますが、それは、その人が事後的に振り返ることができるからこそそのように言えるのではないでしょうか。「もまれて過ごす」のに耐えられない人だっているでしょう。昨今「スクールカースト」などと呼ばれるような事象を見ていても、「もまれている」当事者がそこから逃げたいと思うのは、むしろ当たり前のことなのではないでしょうか。
 しかしながら、普通学級で学びたいという障害児本人や家族があれば、その希望は誰にも止める権利などない、と考えています。ここでの「学び」として考えられるのは、障害児にとっては、同世代の健常児たちと触れ合うという経験、健常児にとっては、クラスのなかに障害児が当たり前のようにいるという経験です。こうした経験は、お互いにとって卒業後生きていくなかで必要な経験であると私は思っています。教科教育よりも大切であるとすら言えると私は思っています。
 インクルーシブ教育を推進する側からは、こうした「子ども同士の学び合いが行なわれてハッピーエンド」みたいな描かれ方がなされたりもしますが、実はここでクラス担任、つまり教師による働きかけというものがとても重要なのではないかと、私は思っています。子ども同士でハッピーエンドになり、大人たちが教えられることもありますが、たいていの場合は大人が介入しなければなりません。そして、たいていの場合、そこで大人が間違うのです。教師とて、その多くは差別を前提とした社会のなかで生きてきたわけですから、よほど差別に対する感性が強い人でない限りは、障害児を「お客様扱い」したりします。人生は卒業後も続くわけで、そういう意味においては学校/教育の中で「エンド」などあり得ません。しかし、そのなかで少なくとも「ハッピー」でいられるためには、子どもたちが障害を理由とした差別やいじめを行っていたときに、教師は毅然とした態度で接していかなければならないと思います。
 障害児も健常児も、「学校に行く/教育を受ける」期間だけ生きているのではありません。「その後」の人生のほうが長いのです。障害児と健常児とが分けられたままの「学校/教育」では、お互いのことを知ることができません。そうした「学校/教育」こそが社会のなかで障害者と健常者とを分けることを再生産しているのです。だからこそ、障害児も健常児もまぜこぜで「学ぶこと」が可能な場が必要である、そのように私は思うのです。そしてそうした「学び」によって、障害児も健常児も「根源的な受動性からの主体的な批判性の創造」が可能になるのではないかと考えます。もちろん、そこで教師の意義というものは重要になってきますし、そうしたことが行なわれるのであれば「学校制度/教育制度」の枠に当てはまる必要などどこにもないと思います。
 同様なことは、夜間学校にも言えるのではないでしょうか。高齢になって、教科科目を学べなかったから学びたいということを実現するということももちろん大切なことです。しかし、私が言う「学ぶこと」の意義から考えれば、違う世代の人たちが、教科教育を介することによって、新しい世界とどうしようもなく出会ってしまうということは、とても大きな意味のあることだと言えるでしょう。障害児と健常児とのインクルーシブであれば、同世代の人たちが中心で、そこには「同じ世代の障害者も健常者も同じ地域に住んでいて当たり前」という意識を醸成させるという目的があります。それに対して、夜間学校では世代、職業など、広範な「違い」が現実にあります。どちらにせよ、「自分と異質の者との出会い」を経験することが、私の言う「学ぶこと」の原初的な形であると言えます。
 そのように考えたときに、学校を廃棄すること、教育を廃棄することは、とても惜しいことなのではないかと、私などは思ってしまうのです。常野さんが正しく指摘するように、「この社会全体を変えることが必要」だと、私も思います。そして、現在の「学校制度/教育制度」が、植民地主義、健常者中心主義、家父長制、資本主義、異性愛主義等々を疑うことなく前提としていると、私も思います。しかし、そのなかから、私の言う「学ぶこと」こそが教育という営為の中核にあるべきならば――少なくとも私はそう思っているのですが――、教育というものもまだまだ捨てたものではないと、教員をやっている私などは思ってしまうのです。そうした前提を疑い、隙あらば変えていこうとすることこそが、私が考える「学ぶこと」であり、現在の「学校制度/教育制度」を解体していくものにつながっていくのではないでしょうか。現在の「学校制度/教育制度」は、人々を「学ぶこと」から遠ざけてしまっていると、私は思っています。

 常野さん、私は甘いでしょうか?
 常野さん、一度でいいから聞いてほしかった。
 常野さん、私は教員という立場の自己正当化をしているだけでしょうか?

 常野さんがいなくなったいま、学校は必要なのか、教育は必要なのか、必要であるとすればそれはどういう意味においてか、それは学校に行かない/行けない人たちを否定するものではないのか、改めて私たちに突きつけられた問いなのではないでしょうか。そして、この社会においてすべての人が、どうすれば息苦しくなく、十全に生を送ることができるのか、どういう社会なら、それが可能なのか。そうした問いを、少なくとも私は真に受けて考えていきたい、そのように思っています。

 

2018年5月4日 野崎泰伸

*1:事実の訂正をします。常野さんがそうおっしゃっていたわけではなく、そういう話の場に常野さんがいらしゃったということです。ここに訂正し、誤解を招いたことに関し謝罪いたします。