「生きづらさ」と「左翼の言葉」の光と影 ~信頼をどう作るのという問いは、そしていまも続く~ / 栗田隆子

常野さんの訃報を聞いた時、まず思ったこと。言葉にならなかった思いは残念ということ。それにまずは尽きる。

 だがそれにしても何が残念だったのだろう?常野さんにしょっちゅう会っていた訳でもなく、とても親友などとはいえない。それにブログやツイキャスを待ち望んでいたファンでもなかった。もちろん亡くなって悲しい、ショックだ、死を悼むという気持ちはある。しかし、そんな思い以上に、いわば引っかかる思いとしての残念な気持ちが私にはある。

 そう、その残念の背景にあるもの。それは、「引っかかり」である。

彼に引っかかるものを私が個人として感じていたということ。それに対して彼がどうしようとしたのか、どうしようとしているのか、結局どうしたのか、ということをもっと知りたかったし、彼だけでなく広く共有したかった。それはまさに「左翼的な運動」と呼ばれる側面においても、「生きづらさ」という言葉で表されるようなもどかしい側面においても重要だと私は感じるからだ。

 ところで、生きづらいという言葉に「甘ったれを感じる」という小沢牧子さんは、常野雄次郎さんの思想を非常に支持されていた。

不登校50年証言プロジェクト #04 小沢牧子さん

しかし、ある程度彼を見知っていた私としては、そのこと自体、ひどく困惑するものだった。

なぜなら、私は常野さんの、特に亡くなる最後の1年くらいの震える手、恐ろしいほどの酒量、絶え間ない喫煙の姿に対して、本当に失礼だと思いつつも、「生きづらさ」という言葉がどうしても頭をよぎってしまったからだ。

無意味な質問とも思いつつ、本人に私は思わず

「アルコール依存なの?」

と尋ねたくらいである。ご本人も酒量が多い自覚はあったようだが、医者からその判断を下されてない、と去年の九月くらいに話をしてくれた。

そしてその彼の部分を知らないか、見ようとしない人であればあるほど、なんというか、私の視点からみるといわば、彼が演出した(私を含め、誰でもそうでありたい演出した自分というのはあると思う。演出自体を否定する気はない)「そうでありたい彼」だけを見ようとしているのではないか?という思いが頭を離れないのだ。彼の一部というか、演出部分を認めない、見ようとしないということは、ただ彼を知らないという意味ではなく、この社会の何かを見ずに自分自身を自衛してるだけではないのではないか、とどうしても違和感を覚えてならないのである。

 ところで、常野さんはある管理教育反対の活動家をかつて評価していた。そしてその活動家は性暴力を起こしていた。

 その人物を評価していたことに私はドン引きしたということを、本人にTwitter越しで伝えた。本人のtwitter越しの回答は

彼の反管理教育活動家としての業績に引っ張られ、レイピストであるにも関わらず評価していたことを後悔し、その動画は去年くらいに削除しました。他に前記業績をレイピストであることに触れずに紹介しているエントリーもあるため、随時、容認してはならないとの断りを追加していきたいです。とあった。

さらに私は、

「わかりました。ただ正直、自分のその部分に踏み込まずに菅野完の批判をしてたことに、驚きを禁じ得ません。ブーメランという言葉がありますが、まさにブーメラン的な事態だと思います。もちろん私もそのブーメラン的な過去があったら引き受けていかねばと思う次第です

書いたところ、

「おっしゃる通りだと思います。業績に引っ張られて性暴力を軽視するというのはまさに菅野現象です。ご指摘ありがとう。他にも、自分が忘れてるだけで、似たようなことをやってるかもしれません。また、自分自身のセクハラ行為についても振り返らないといけないとおもいます。」

とあった。もともとその前に、

 「なるべく自分で振り返り自己批判の注釈をつけること。ただし時間がかかるので、指摘されたときにはその部分を優先的に検討すること。という、中間策でいこう。 ってわけで、 http://toled.hatenablog.com の新規エントリーだけでなく、過去ログにもなんかあったらぜひ!」

と書かれていた

だが、この左翼用語で言うところの「自己批判」は、その後下記の言葉以上にはほとんどなされぬままに常野さんはこの世を旅立ってしまったと思う(常野さんの自己批判的な公の発言をもしご存知の方がいたら、ぜひ教えていただければ嬉しい)。そもそも自己批判というものが本当にできるのかどうかも考えたいし、また、自己批判が仮に出来るとして、それはいかなる条件のもとに可能なのか?それも本当は彼とともに、彼の言葉とともに考えたかった。

「たとえば、@kuriryu さんより、外山恒一がレイピストであることに触れずに反管理教育の活動家としての業績を私が評価していたことについて指摘を受け、改めて反省した。外山がレイプした(と『見えない銃』)で自慢していた当時、彼は左翼だった。性暴力は左翼の闇、もっと言えば文化である。」

 

常野さん自身の言葉遣いは後年に至れば至るほど「自己批判」「連帯」と言ういわゆる左翼の言葉っぽいもので綴られてきた。でも、彼の震える体は、本当はその「言葉」や「概念」以上の、あるいはそれ以外の訴えや思いや可能性を秘めていたかもしれない。

震える体と、彼の「自己批判」や「連帯」という言葉が合わさる果てに彼の原点である「登校拒否」があったのだろうか。今となっては、それら全ては、私の宿題としてブーメランのように戻ってくるばかり。でも、私は、生きづらさと左翼活動の大事なところを取りこぼさず、人と人との信頼関係を生み出されていくことを、いまもこの世にとどまりながら、考えていこうと思っている。単純な感謝ともいえぬ、複雑な「残念」な思いを常野さんに感じながら。