A Friend Indeed/ドウツマサヨ

私が常野(さん)を最初に認識したのは、おそらく2009年前後にネットで誰かに絡んでいるところだった。面倒くさそうだと敬遠していたある日、彼が英語ブログを持っているのに気づいた。見てみて、なによりもその英語に感銘を受けた。ほぼ直しが要らないような英語を第二言語として書けて、あのように「変」なひとというのを、当時の私は見たことがなかった。

はじめて話したのは、2017年の6月くらいだっただろうか。絡んでくるひとという先入観はほどなくして崩れ、秋の後半からしばらくは日々夜明け近くまで通話するようになっていた。彼は、こちらの言い草をたしなめてくることや問うてくることはあっても、触れてほしくない話題に立ち入ってはこなかった。私は、Twitterで垣間見るだけの言動で決め付けて、その背後の人間を知る機会を逸してきた自分を恥じたし、同時にあの言動はなんだと本人を責めもした。

私のほうは好きに質問を投げ、彼を糾弾もしていたと思うのだが、彼のほうは「友だちだから」と言って、納得できなくても引き下がるような場面が何度かあった。「友だちなんだから」もうちょっと共感を示してくれない、と言われたこともあった。このひとは友だちに甘えたいんだな、と私は思ったが、一方でこの友だちがどれだけ自分を甘えさせてくれていたのかについては、考えていなかった。

彼を知ることのできた短い間、私は自分に都合のいい面だけを見ていたのかもしれないが、彼の「友だちだから」という言葉と態度に助けられた一人だった。たとえ彼のことを何も分かっていなかったとしても、それを信じたいと思うのだ。

友だちでいてくれてありがとう。もっと早く知り合いたかった。もっと長く、ずっと友だちでいたかった。

2018年5月7日 ドウツマサヨ