ずるく、情けなく、ごまかしもあるけれど……/山下耕平

私は、常野雄次郎さんと個人的なつきあいがあったわけではない。不登校新聞で1999年に常野さんに連載をしていただいていたときに、私は編集長をしていて、それが最初だった。その後、考えなければならないことがいろいろとあったのだが、不登校新聞の立場として書かなければならないことは、別に書いたので、よかったら、そちらをお読みいただきたい(→『不登校新聞』481号/2018年5月1日)。

昨年夏、不登校50年証言プロジェクトで常野さんにインタビューさせていただいた。きちんと対話をしたいという思いが強かったあまり、私は、インタビュアーとしては話しすぎているし、くどいほど食いさがったところがある。こんなことを言うのはおこがましいのだが、このインタビューをきっかけに、常野さんの問いを、不登校運動に関わってきた人たちと考え合えるものにしたいという思いもあった。いまだったら、そういう対話も可能なのではないかと。

しかし、それはかなわなかった。記事を公開したのが3月22日、それからまもない3月30日、常野さんは急逝されてしまった。肝不全から多臓器不全になったとのことだった

記事を公開する前の3月19日、入院されていた病院に、お見舞いにうかがった。そのとき、常野さんはかなり苦しそうにされていて、でも、目だけは強い光をはなっていた。息をするのも苦しそうな状況で、あまり長くは話をすることも、込み入った話をすることもできなかったのだが、「山下さんはご実家はどちらですか?」「ご両親は健在ですか?」と聞いてくださったので、「埼玉県なので、これから帰ります」とか、そういう会話を交わした。活字やネットで見せる挑発的な姿の一方で、生身の常野さんは、こまやかに気づかいをされる方だったのだと思う。常野さんのお母さんとも少しだけお話ししたのだが、「医者からは覚悟するように言われているんですけど、気持ちが強いのか、それでもっている状態です」と、おっしゃっていた。おそらく、本人も覚悟はされていたのだと思う。それゆえの目の光だったのかもしれない。

常野さんは、インタビューで「it will get better(そのうちよくなる)」という言葉より、「it could get worse(悪くなるかもしれない)」という言葉のほうが大事だと語ってた。それは、常野さんが言う、登校拒否をネガティブなものとして肯定することと同じだろうし、常野さんの一貫した思想だったように思う。悪くなった状態を美化したり、気休めを言うのではなく、そのまま肯定するということ。

私は、常野さんにとって何がそんなにworseなのか、それは登校拒否の経験とダイレクトにつながったものなのかと、執拗に食いさがった。常野さんは「精神の病が問題ですかね。あと、バイトは再開するかもしれませんが、現時点で無職で、障害年金はもらっていますが、将来の経済的な心配があります」と話されていた。しかし、言葉にされなかっただけで、ご自身の身体の限界を、どこかで感じていたのかもしれないと思う。

常野さんの思想は、突きつめていけば「自己否定」にならざるを得ず、それゆえ生きることの「ずるさ」を照射し続けるものでもあったように思う。その思想、その言葉は、鋭く厳しく、私たちのずるさを射貫く。

でも。

生身の常野さん自身は、どうだったのだろうと思う。どこか、ご自身に対しても、無理を重ねていたところがあったように、どうしても私は感じてしまう。だから、常野さんの死を美化したくはない。それも、常野さんの生きた道筋だったのだろうと思いつつも……。

そして、生きることはずるいことだと、自分を恥じつつ思う。生身の自分のずるさを恥じつつも許しつつ、なおかつラディカルな問いも手放さないで生き、その問いを共有できる関係や場をつむいでいくことができないか。私はそのへんで試行錯誤を重ねている。

常野さんには、「それはずるいですよね」と言われるだろうけれど。

もう一度だけ、食いさがって常野さんに質問できるとしたら、私は聞きたい。

「生きることは不自由で、ずるく、情けなく、ごまかしもあるものだ。そして、そのようなものとしての生を肯定するのだ/肯定できるだろうか?」

2018年5月1日 山下耕平