黒雲の上には青空が/小沢牧子
常野雄次郎 様
とつぜんの手紙、失礼いたします。以前にお目にかかった小沢牧子です。ごぶさたしておりました。
いま、ご入院のよし、山下耕平さんからうかがい、ご体調を案じながら、ご入院先におたよりさせていただく次第です。
このたび、山下さんから常野さんのインタビュー記録を送っていただきました。深い感銘を受けたことをお伝えします。その感銘は、たとえて言うなら、黒く重くたれこめた時代の雲のあいだに、ひときれの澄んだ青空を見るすがすがしさでした。やっぱりこの世は捨てたものではない、という励ましを見いだしたような。大げさなようですが、それが正直な読後の気持ちです。
自分のみっともなさを言うなら、すべてをごまかしながら生きてきて、老いてなお、そんなふうに「平穏」に生きてしまっていますが、しかし黒雲の上には青空があり、足もとのコンクリートの下に土があることを忘れたことはなく、それらを改良の方法でとりもどすことは、もちろんできないと思っています。
記事の最後の節の常野さんのことばは、あまりにも自然で勇敢で優しく、説得的です。しかしそれが不思議にも聞く人々に届きにくいものなのだということもまた、この記録全体を読んで、あらためて感じたことです。
でも大丈夫、この記録の持つ価値は、ゆっくりと静かに広く、届くべき人に届いていきます。シリーズに、この一稿の入ったことが、どれほどよかったか。ほんとうのことに光が当たり、そこに希望が生まれているからです。
登校拒否には、おっしゃる通り、子どもからの革命の表現を含んでいます。子どもはこの先に生きていく時代のいまと未来を実に鋭く感知する生きものだと、私は常に感じてきました。この学校=社会はイヤだ、どうにかしたい。しかし親というものは保守的存在の代名詞で、共闘の望みはほとんどの場合、ない。ラジカルにものを見、考える視座を親は失いがちだからです。
それであるのに、その条件のもとで学校=社会の本質を見抜き、テーマの追求をつらぬき通して大人になった人が少なくともひとりいた。この世は捨てたものではない、ということばが私に浮かんだゆえんです。
どうかこの手紙が「ゲバラのTシャツってかっこいいね」というようなものに、少しでもつながっていませんように。感謝を込めて。
2018年3月31日 小沢牧子
※このお手紙は、病院宛に送られたものですが、常野さんは3月30日逝去されたため、ご本人に届くことはありませんでした。小沢牧子さんから追悼メッセージに入れてよいというご了解を得たので、ここに掲載いたします。(山下耕平)